二年ほど前、伝説の女マネージャー極細木(ごくぼそき)スガ子と語りつくしたその夜、彼女から
「サンプルを創り、できる範囲で営業もしてみること」
「常に新しい読みの表現を学ぶこと」
「自立したナレーターを目指す事」
の大切さを教わった。
その教えのとおり自作のサンプルを持って営業してみたり、新しい表現を吸収しようとスクールに通ってみた。
やがてフリーのナレーターとして小さい単発の仕事をたまに出来るようになっていた私だが、まだ食うにはとても至っていなかった。

プロローグ:チゲさんといつもの夜
それは少し肌寒くなった秋の夜。
私は私鉄沿線の居酒屋にむかって歩いていた。そこは、場末の雰囲気が漂っていたが、なぜかほっとして心落ち着くのだ。
居酒屋ののれんをくぐると、椅子に背中を丸めて上機嫌の「魚ヶ原チゲ(さかながはら・ちげ)」の姿があった。
チゲは20年前、声優としてデビュー。
鳴かず飛ばずだったが世はバブルに突入。その好景気によって仕事をナレーターに広げることで業界を生き延びた。
90年代は折よくやってきた声優ブームに乗りアイドルデュオ『チゲ&アボジ』を結成。「チゲアボ」の新曲「今夜もSome Get Down(サムゲタン!) 」の公開録音中に「吹きすさぶ風に向かって歌ってたらヅラが飛んでしまった」というトラブルに見舞われた。
それからは売れっ子声優の階段を一段一段、”下り続けている”人だ。
役者はさ~
彼とは半年前にこの居酒屋で偶然知り合い、幾度か酒を酌み交わし様々な話をした。
ふとチゲが私に気づき千鳥足でこちらにやってくる。いつものように相当飲んでいるようだった。
「あ、山ちゃん!ひっく。俺今度アニメの大きな仕事が決まったんだ。といっても事務所からじゃなくて、俺に指名で来た仕事なんだけどさぁ。イベントは絶対来てよぉ、ひっく」
アニメ出演については知っていた。チゲは端役の一人だったが作品は大ヒットしているものだった。
「ひっく、ところで山ちゃんは最近はどうしてるの?」
「サンプル創ったり、少しずつ営業しているところです。極細木先生からスクールや、営業方法を教わったので、やれることをやってみなきゃって」
「営業?ははは、ひっく、媚を売りにいってるんだ…安っぽくなちゃうよね」
「僕はフリーなんで誰にも頼る人がいないから、自分で営業やらないといけないんです。でも最近はちょっとメゲてるんです。仕事なんて滅多に決まるものでないし」
「役者はさ~そんな余計な事考えないで、いい表現してればいいんだよ」
「それで少しでも向上して新しい表現を学ぼうとスクールに通ってみてます。でもなんか自分の個性が認められなくって、心が折れかけてるんです」
「今さらスクール?まだ通ってんだ?ククク、上手くなるには現場が一番だよ。これホント。学校なんてしょせん金儲けだし、山ちゃんもプロなんだからさ、今さら学ぶなんておかしくない?」
「プロ…そうですよね。俺もまだ売れてないけど一応はプロですもんね。プライド持つ事も大切ですよね!」
『気をつけたほうがいい』らしいよ
「そうそう!それに前も言ったけどさ~、ここだけの話、極細木ってやっぱり『気をつけたほうがいい』らしいよぉ、ひっく。仕事がぜんぜん増えないらしいしさぁ…」
「そ、そうなんですか!てっきり凄腕マネージャーだと尊敬してました」
「冷たい女だよ。役者をモノみたいに扱って、なんか金のことばかり言ってるらしいし。守銭奴だよあれは、あはは」
「ホントですか!ショックです…。すっかり信じてました」
「山ちゃんは苦労して来ただけあって、芝居の事も俺の話もよくわかってくれるよね」
「そういえばチゲさん事務所移籍してからの仕事はどんな感じですか?」
私の問いに、チゲは突然顔を覆いながら答えた。
「仕事は昔からの指名のだけだよ。いつもいってるだろ、事務所が売り込んでくれてないって。あいつら役者のことなんて愛してないんだよ…」
そうつぶやくと目頭からすーと、一筋の涙が流れた。
「ひどい事務所ですね。僕までなんか胸くそ悪くなります」
そうして二人の居酒屋は、今宵もやがて暗く長いトンネルに入っていくのだった…
極細木スガ子

ごくぼそきすがこ。
声業界の女帝と呼ばれるマネージャー。
山ちゃん

謎の新人ナレーター。
チゲさん

かつて売れっ子だった声優。
極細木第2章「プロ向け編」もくじ
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